パラサイト 半地下の家族 の感想
今話題の、「パラサイト 半地下の家族」を観に行った。
綺麗な映像とか音とかの中に、印象的なシーンがいくつかあって、
半地下の家族の家のトイレがなぜか部屋の中の1番高いところにあって、
洪水の時に妹が吹き上がる汚水にトイレの蓋をして、タバコをふかしながら悠々と座るところとか、
お母さんがジャージャー麺の肉を鬼気迫る勢いで切りまくるところとか、
そういう印象的なシーンっていうのはどうやって意図されて作られているのかな、などど考えながら見た。
半地下の家族も豪邸の家族も、どちらもそれなりに文句なくいい家族で、
お互いには絶対的な格差とか壁があって、
それは生まれ持って違うものなのだろうなあという閉塞感をずっと持った。
お互いにもう違うものとして、お互いに目を背けている。
チケットがわりの感熱紙の裏表に、くちゃくちゃに書いたメモを見ながら書いている。
女であることを受け入れ、姿勢を正して生きる(『孤独の意味も、女であることの味わいも』)
子供を産むという、リアルな夢を何度も見た。
いや、産んだことないからリアルなのかどうかはわからないんだけど。
起きたらなんだかお腹が痛くて、その日は何度もトイレにいった。
三浦瑠麗さんの、『孤独の意味も、女であることの味わいも』
を読み始めた夜のことだ。
産んだことがないのに子どもを産む夢を見てしまうほど、
リアルな描写が何度も何度も繰り返される。
匂いとか、感触、などの五感も一緒に。
子どもを産む描写だけでない。
筆者の記憶がまるで、自分の記憶と重なるようにしてリアルに呼び起こされる。
中学生の時に部活でいじめにあい、その理由を担任の仕切りで聞かされる、裁判のようないたたまれない出来ごとのこと。
まるで調理されていく魚だった。中骨のところで捌かれて白い身をさらけ出し、内臓はあらかた取られてしまっていた
旧い家庭での、抑圧のこと。
祖母が私の兄や弟にいいお刺身を付け、女の子たちの待遇を別にするのを見て、私はちいさい頃からそこはかとなくこの家の伝統を感じ取った
「ああ、これだから、女って嫌なんだ」
っていう、しばらく忘れていた感情が、フツフツと蘇ってくる。
集団ヒステリーのような同調圧力とか。
女だから社会的に抑圧されて当たり前、と半ば諦めつつもかわいそうな自分たちがかわいい、という雰囲気とか。
ああ、ここ数年、忘れていたような気がしたのに。
いや、忘れていたわけではないのかもしれない。
「わたしは、男社会の中でも生きていけますよ」、というなんの意味もない演技をして、そこから脱却したようなつもりになっていただけかもしれない。
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数学のクラス合同授業で、九六人の男子が三、四人の女子と一緒にずらっと講堂に腰掛けているさまは異様だった。
工学部に入学し、私もこの光景を目の当たりにした。
最初こそショックを受けたが、私はこの異様な状況を、利用することにしたのだった。
当時は女社会にいることにとても窮屈さを感じてしまっていた。
周囲の女友達との衝突や、仲間内で自ら作り出してしまう抑圧のなかに、自分の中の嫌な部分に焦点が当たるような気がして辛かった。
男が相手だったら、どうせ違うからと、それに向き合わずにすむ。
どうせ違うからと諦めることで、傷つかないですんだ。
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筆者は一貫して、
女というより、人間として見てくれる
ことを望んでいる。
私は、そうやって「女であること」から逃げに逃げる学生時代を送りながら男性と過ごすうち、やはり男からは、「女」としか見られないのだ、ということを理解し始めた。
ここまで、クラスメイトの君と私は、たぶん同じだけ努力して、同じだけ結果を出してきた。
ずっと対等だった。
なのになんで、ある時突然、女は守られるべき存在になってしまうのだろう。
動物的に、男は力が強くて、女は力が弱いからだろうか。
だから、突然一歩下がる必要が出てくるのか。
たとえば、「女の子扱い」をしてもらって、なにかと下駄を履かせてもらうこと。
たとえば、「女の子だからおごるよ」っていわれること。
それってなんだろうか。
私は、そんなことを鼻高々言う男がいやだ。
でもそれは、それを享受してしまう、女側にも原因があるのだろうか。
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筆者は、
女というより、人間として見てくれる
ことを望んでおり、そのために、
つながりたいと思った相手には近しい少数の人にせよ、多数の見知らぬ人にせよ、同じやり方でしか臨んでこなかった
そして、
常に率直すぎるほど率直に語り振る舞う必要があった
と書いている。
新入社員の時、飲み会の席で、たまたまわたしの近くにサラダのボウルが置かれた。
テーブルの上は他の料理で混み合っており、わたしが取り分けて配った方が早いように思えた。
トングを手にとりサラダを取り分けようとすると、男性の上司に止められた。
「いやいや、いいんだ。女の人に取り分けてもらうような時代じゃないから」
思わず
「女だから取り分けてるんじゃないんです。わたしが取り分けるのが効率がいいから、だから取り分けようと思ったんです。」
と言い返していた。
その人は一瞬ポカン、として、
「それもそうだな、すまん」
と言った。
私は自分の生き方を、その時に決めたような気がしている。
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世の中には、当たり前に、男もいて、女もいる。
わたしは人間であり、そして性別が女だという、ただそれだけだって言うことを、姿勢を正してまっすぐ言い続けることだ。
間違っていることがあれきちんと説明して、言い返していい。
女が日本社会に順応するというのは、気持ちを汲み取ってもらえるまで待っていることだという感触が私にはある。ぽつりと漏らす控えめな言葉に、周囲が察してくれる余白や余韻を残す。聞かれるまで自分から望みを口に出さない。
言い返さない背景に、どうせわかってもらえない、という思いもあるのではないかと思う。
もしかしたら、論理的でない、とかヒステリックだとか、言われるかもしれない。
だって世の中で、一般的に女はそう言うものだと言われているから。
わたしも、会社で何度も言われたことがある。
でも、たとえそうだとしても、それが自分だ。
堂々と、違うと思うことは違うと言おう。
もう一つ決めたことがある。
誤解を受けたくないから自分に近いサラダを取り分けないような真似はしない、ということだ。
もしそれで誤解を受けたら、女だから取り分けているんじゃない、とその都度きちんと説明すればいい、ただそれだけだからだ。
本当はその発言が、人として生きている女に対して失礼だということに気づいてほしい。
でも気づいてもらえないなら、きちんと発信しようと思う。
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女であること、から私は今でも逃げている部分がある。
女友達と少し近い関係になると、自分の嫌な部分が投影されてしまって途端に距離を取りたくなってしまう。
自分に一番近いサラダを、本当に取り分けるべきか、少し逡巡してしまう時もある。
女である、ことを本当に受け入れ、姿勢を正し、個人として生きられているかと言うと、胸を張ってそうも言えないような気がする。
でも、女であることを忘れる、と言うのは無理だ。
女でなくなる、のも無理だ。
私は紛れもなく女で、男にはなれない。
自分がいちばんわかっているのだ。
女としての自分の、醜いところも好きなところも全部受け入れ、姿勢を正して生きる。
それが私にとって、「女というより、人として生きる」ということなのだと思う。
セブ島旅行。マニラ空港で乗り継ぎ!快適な7時間の過ごし方
ここ数年、1年に1度はビーチリゾートに行くのが恒例になっている。
場所は主に、手軽に行けて物価も安いアジアリゾート。
けっこういいホテルに泊まる。
1日中、ビーチに寝そべって過ごすのだ。
ビーチ以外は、どこにも行かない。
パラソルの影が、1日かけてゆっくり動いていく。
その下で、朝から本を読んだり、ネットサーフィンをする。
お腹が空いたらフルールの盛り合わせを食べて、暑くなったら海に少しだけ浸かる。
それを繰り返しているとやがて日が落ちる。
そうしたらホテルの部屋に戻ってシャワーを浴びて、ホテルのレストランで軽く夕食。
そのあとはまた、暗くなったビーチやプールサイドで読書をするのだ。
これを毎日やる。至福の日々だ。
ただ今年は、しくじった。
予約が遅かったのだ。
ギリギリまで、彼氏の休みが取れるかわからなかった。
ようやく予約ができたのがもう1ヶ月前を切っていた。
直行便がある旅先なんて、もうほとんどなかった。
それでも、彼氏は俺に任せとけとばかりに、ネットで乗り継ぎ便の飛行機とホテルを取った。
場所はセブ。
現地到着時間はpm1:30。
ホテルのチェックインの直前に到着するということだ。
ホテルでほとんどの時間を過ごす我々にとって、初日も有意義に使えそうだ。
さすが、カレピは頼りになるなあ、と思い惚れ直す。
しかし、転送されたメールをみて、私は目を疑った。
そこには、日本からの所要時間、13時間15分、とあった。
13時間。
ネットで調べると、日本からの所要時間で一番13時に近いのはメキシコであった。
我々はメキシコにでもいくのであろうか。
あの、サルサダンスやタコスが有名な、あのメキシコに。
いやいや、ホテルはフィリピン、セブ島と書いてある。
もう一度メールを見返してみる。
マニラで7時間乗り継ぎと記載されていた。
なるほどつまり、13時間のうち、7時間、マニラ国際空港で乗り継ぎというわけらしい。
我々の旅程はこうだ
am1:15 羽田発
am4:50 マニラ着
pm0:10 マニラ発
pm1:30 セブ着
マニラと日本は1時間の時差がある。
深夜に羽田を出発し、4時間半飛行機に乗り、明け方マニラに到着。
そこからマニラで7時間待って、昼頃ふたたび飛行機に1時間半ほど。
そしてやっとこさ、セブに到着できるというわけだ。
私は彼氏に任せっきりにしておいた自分を呪った。
やつはいつもそうなのだ。
この間も、自信満々で買った棚は1センチ大きくて隙間に入らず、無駄になった。
任せとけ、とばかりに得意げに、ほんの少し間違ったことを堂々と平気でするのだ。
おそらく、もう少し乗り継ぎ時間が短い候補もあったであろう。
なのにおそらく、到着時間を見ただけでちょうどいいと感じ、購入ボタンを押してしまったに違いないのだ。
まあ仕方ない。
こんな彼氏ともう10年以上も付き合っているのに、懲りずに任せてしまった。
全責任は私にある。
トランジットの、マニラでの7時間も楽しむしかないであろう。
マニラ国際空港。
現在の正式名称は、ニノイ・アキノ国際空港というらしい。
私たちが使うのはフィリピン航空である。
マニラ空港ではターミナル2というところに発着するらしい。
つまり、マニラ空港ターミナル2で待つことになるらしい。
ネットで調べていくと、恐ろしい事実が判明した。
マニラ国際空港は世界一治安が悪いと言われており、しかもターミナル2は中でもお店もなく、環境が劣悪であるということだ。
やばい。
ターミナル2の、その劣悪な環境でいかに効率よく休憩を取り、セブ島でのバカンスに疲れを残さないか、ということがこの旅ではどうやらとても重要になるようである。
彼氏はここで挽回とばかりにまた張り切り、早速、寝袋の購入を検討しだした。
こういうところなのだ。
こういうところが、迂闊に7時間のトランジットのある飛行機を選んでしまうのだ。
今度は購入ボタンの直前でやめさせることができた。
やれやれ、狭い家に無駄なものを増やさずにすんだ。
さて、まず一番重要だと思われたのが、マニラまでの飛行機のなかでしっかり眠ることである。
ここで寝ないと明け方、ぼんやりとした頭でマニラに到着するのだ。
そんな状態で噂のマニラ国際空港に到着しようものなら、一瞬で強盗に襲われるであろう。
彼氏と私はそれなりに色々と作戦を立てて、準備万端で当日に望んだ。
まあ、結果としては、マニラまでの飛行機では全く眠れなかった。
どうして飛行機というのは、深夜に乗ったのに機内食をモリモリ出すのだろうか。
こっちは寝ようとしているというのに、おかまいなしだ。
仕方なくもそもそ食べてなるべく眠ろうと努力したが、結局ほとんど眠れぬまま、マニラについた。
4:50 予定通りマニラ空港の到着ロビーに降り立つ
外は薄暗い。
ぼんやりしながら、出発ロビーに向かう。
7時間20分の、トランジットの幕開けである。
5:15 マニラ空港の出発ロビーに到着
あれ、意外と全然綺麗だし、人もたくさんいる・・?
危ない感じもあまりない。
なんだか拍子ぬけだ。
5:30 クリスピークリームドーナツを発見
なんだかお腹が空いてきたので、私だけ、ドーナツとコーヒーを注文。
彼氏は早くも疲れており、食欲旺盛な私に半ば呆れ気味。
ちなみに、マニラ空港内は確かある程度の金額以上じゃないとクレジットカードが使えないことも多い。(いくらか忘れたけど水とかだけだとNGのはず)
日本の空港である程度、両替していくのがお勧めです。
6:00 出発前もギリギリまで仕事をしていた彼氏が先に就寝
っていうか、それで空港行くのもギリギリになってしまってタクシー飛ばしたんだよね。
この男はどこまでも・・・!
というわけで、私はドーナツとコーヒー、本を読んで過ごす。
絶対寝てはいけない時に使えるよう、読まずに取っておいた本。
やっぱり面白かった。
7:00 眠くなったので彼氏を起こし、今後は私が就寝
治安が心配だから絶対寝ないでね!と言ったはずなのに、起きたらやっぱり寝てた。
頼りない。
8:00 起床
空港内を散策
8:30 朝ごはん
Ya Kun Kaya Toastというお店。
調べると、シンガポールのお店っぽい。
トーストを食べるべきだったみたいだが、
あっさりしたものが食べたかったので、私はシーフードヌードルを注文。
それがこちら。
うーん、どうやら、こちらではシーフード=かまぼこ のようですね。
あっさりした塩系の味付けで、美味しかったけど、大量のかまぼこにより、ボリュームがすごい。
9:30 彼氏また睡眠。私は読書の続き
・・・と思ったら、いつの間にか私も眠っていた。
さっき頼りないとか言ってメンゴ
11:30 搭乗開始
あれっ?!終わり?!ということで、
うん、結果、全然余裕だった。
どんなに劣悪なんだろうと思ってたマニラ空港だけど、中は案外綺麗で快適だった。
意外と人もたくさんいたし、スタッフもたくさんいて、治安が悪い感じもあまりなかった。
7時間の乗り継ぎなんて、ぜんぜん大したことなかったですね。
以下にあってよかったものまとめておく。
今後また、7時間のトランジットがあれば持っていけるようにね。
(次は直行便を取りたいけどね)
①マスク
普通のマスク。眠る時あると安心する
②蒸気でホットアイマスク
寝る時、少し贅沢な気持ちで幸せに寝られる。
私はゆずの香りが好きです。(いら情)
③ユニクロウルトラライトダウン
空港内は結構寒い。ずっと着てました。
https://www.uniqlo.com/jp/store/goods/409116-31
④大きめのストール
小さくたためるが大判のものがお勧め。
首に巻いたり、膝にかけたり、くるまったり便利。
⑤眠くならない本など、暇がつぶせるもの
海外の空港は怖い。我々は交代で眠る予定だったため、相手が寝ている間に絶対寝ないための本が必要であった。
まあ、結局2人同時に寝たわけだけど。
⑥フィリピンペソ
空港内の売店は、ある程度の金額以上でないと、クレジットカードが使えないことが多かった。(いくらか忘れたけど、数百円程度)
水などは買いたくなると思うので、ある程度は両替して持っていくのがお勧め。
⑦携帯などの充電器
充電ができるところはいくつかあったので、充電器さえ持っていれば安心です。
WiFiも使えそうだったけど、今回はルーターを持っていたので我々は使わず。
以上、マニラ空港で7時間トランジットレポでした!!
来年はどこに行こうかな〜!
他人の仕事を「妄想」してみた
他人のバックグラウンドを想像するのは楽しい。
いわゆる人間観察、というのであろうか。
この男の人は今、なぜ道端に座り込んでいるのか。
なぜ前からきたカップルは付き合うに至ったのであろうか。
カフェで隣の女子高生の2人組、一人はひどくつまらなそうに見えるけど本当は今すぐにでも家に帰り、明日の試験勉強をしたくて仕方ないのではないだろうか。とか。
今日もそんな、想像が止まらない出来事があったので報告したい。
会社の命で、ある新しく使うソフトの講習会に行ってきた。
社外に出て会社が異なる方なども一緒に受けるようなたぐいのものである。
ソフト自体はそれなりに専門的なものであった。
講習会を開催している会社は、人材派遣とか、そういった関連のサービスを提供したり、教材を作ったりとか、割と手広くやっているらしい。
講師の先生はとても感じの良い女性で、
ソフトの使い方を丁寧にわかりやすく教えてくださっただけでなく、
実際の業務ではこんな風に使うといいです、こう使っている会社もあります、などどいった実務的な話を織り交ぜて話してくださり、とてもためになった。
そこでふと、疑問が湧いた。
先生は、普段何をしているのだろう?
だってソフトといってもけっこう専門的なソフトである。
そんなに、少なくともこの方がこれから先も一生これだけで食べていくだけの、講習会の需要があるとも考えられない。
だいたい、どうやって学んだのだろう。
例えば、自分が新しいソフトを習得したいとする。
まずは今回のような講習会を受けたり、本を読んだりして基礎を学ぶかもしれない。
でもそのあとは、業務の中で実際に使ってみて、試行錯誤しているうちにいつの間にか上達するのが普通だ。
そのソフトについて「教えるために学ぶ」というのは難しいのではないか、と思うのだ。
だいたい、先生は実際の業務の中ではこういう風に使うのがいいです、などど実務的なこともおっしゃっていた。
もし先生の主なお仕事が講師のお仕事だとすると、「実際の業務」をどこで知ったのだろう。
私はそれに対して、以下の想像をした。
①パソコンのソフト自体に興味がある
②「教えること」自体に興味がある
③「接客業」としてやっている
④この会社の営業マンである
④そのソフトを使用する別の「本業」があり、その傍らで講師の仕事をやっている
上から順に説明する。
①パソコンのソフト自体に興味がある
ソフトを習得する、ということ自体に興味があり、他にもあらゆるソフトを使いこなすことができる。
よって、新しいソフトが出ればそれを習得し、教えるということを生業としているのである。
まあ、ありえなくもない。
この場合は、ご自分がソフトの開発に関わっている可能性もある。
②「教えること」自体に興味がある
学校の先生、塾の先生、などの「教える職業」の一つとしてこの仕事をしている可能性である。
そうなると、生後(我々?)のソフト使用技術の上達こそが、喜びということになるのだろうか。
教える、ということに興味があるとすると少しニッチすぎる感じもしなくもないが、これもなくもないか。
③「接客業」としてやっている
店員さんなどは接客業の代表であるが、ソフトの使い方を教える仕事も接客業とも言えるかもしれない。
人と接することが好き、で、そのためにソフトを勉強している。
うーーんちょっと違和感。
④この会社の営業マンである。
つまり、ご本人がこの会社の営業マンであり、ソフトを売るための営業トークとしてソフトの使い方を教えている可能性である。
これの場合、かなり勉強が必要となる。
しかし営業マンというのは、おそらく自社の商品を売るために商品の勉強は欠かせないであろうから、ありえなくもないかもしれない。
⑤そのソフトを使用する別の「本業」があり、その傍らで講師の仕事をやっている
別の「本業」でそのソフトを使用しているので教えられるパターンである。
実務でも使っているならば、講習中にかゆいところに手が届くわかりやすい説明をしてもらえたのは頷ける。
ただ、これだけ教えられるほどの知識を蓄えつつ、別の仕事もやるのはとても大変だろうと想像する。
まあしかし、これは一番あり得る気がする。
バランスが取れている。
このように、実際に5つの可能性を書いてみて、今のところ私が一番可能性があると思うのは④である。
しかしながら、実際に講師の方にインタビューしたわけではないし、これからする予定もない。
一生答えを知ることはないだろう。
こんなことを書いて何になるのかとも思うが、そもそも、私は人間観察とそれにまつわる空想というものが大好きであり、これ自体が趣味だからいいと思っている。
これからもぜひ続けていきたい。
人生で遠巻きにしていた、ジムに見学に行ってみた話
ジムと言うもの自体、少し遠巻きにしていたところがあることを告白したい。
だって、運動のために運動する、って変じゃない?
どうせなら、何かを学べて、それが結果として運動不足解消にもなる、っていうことをやりたいじゃん。
というわけで、わたしは数年間、ダンスを習っていた。
クラスメイトと一緒にステージを作り上げるのはとても面白かったし、
人に見られるスポーツなので、美容にも良かったと思う。
けれども、それなりに年月を積み重ねていくと、自分の限界が見えてくる。
同じだけ練習しているはずの、みんなが上達していくのに、自分だけ上達しない。
というか明らかに、自分だけ形が変なのだ。
これが生まれ持った才能というものなのか。
わたしはだんだんと、思い出すようになっていた。
中学生のとき、いくら一生懸命走っても生まれつき足が速い星の元に生まれた子には敵わなかったこと。
体育祭のダンス、一人だけ、ひときわ形がおかしかったこと。それを、親が撮影したビデオを見て、初めて知った驚愕。
これは努力とか練習量とか、そういう問題ではない。
すっかり忘れていた。
わたしは運動音痴なのだ。
傷心したわたしは、ダンスを辞めた。
得意でもない運動を、あえて人に見せている。
なんてことだ。
手遅れになる前に、気がついて良かった。
そうして半年がたった。
最近、お風呂で椅子に座った時、明らかにお腹のたるみが目立つようになった気がする。
ダンスを辞めてから食生活にはそれなりに気を使ってきていると言うのに、だ。
あと、ダンスを辞めてから疲れやすくなった気がする。
体力がつくと、疲れにくくなるかもしれない。
平日、仕事で疲れきってしまうのは、オタクにとっては最悪のことである。
オタクの土日は忙しい。
朝起きて、まずは一週間分の録画をチェック。
推しが映っているところだけに番組をカットし編集する手間は、HDDドライブの容量のことを考えると欠かせない。
また、少しほっておくと信じられないくらい溜まる雑誌はこまめに整理したい。
ツイッターやネットのチェックも怠れない。
もちろん、現場があれば遠征もするし、なくても鑑賞会やロケ地巡りなどの予定が入ることもある。
ほんとうにもう、時間はいくらあっても足りない。
仕事は大切だ。だから平日は頑張る。
平日頑張って、土日は全てを忘れてオタクになること、これは私にとってとても大事なのだ。
そして平日がくるとまた、仕事を頑張る。
だからこそ、体力なのだ。
一生オタクを続けるには、体力こそが、不可欠なのだ。
また、筋力をつけることにも興味が出てきた。
これもきっかけは推しだ。
推しは最近、筋トレにはまっているらしい。
みるみるうちに筋力がついて、さらにかっこよくなった。
ダンスだって、前からかっこ良かったけど、前にも増してメリハリがついている気がする。
筋肉は嘘つかないんだな、と実感したのだ。
聞くところによるとジムでは、ランニングをしながら携帯で動画を見ることもできるらしい。
最近、見たい動画はあれどだがなかなか時間が取れなくて溜まる一方である。
トレーニングしながら見たい動画まで見れるなんてもうめちゃくちゃ効率がいい。
敬遠していたジムというものが、だんだん、自分に向いている気がしてきた。
前置きが長くなったが、そんなこんなで今日、ジムに見学に行ってきた。
家から少し行ったところの、オシャレなジムである。
もっと近くにもあるにはあるのだが、せっかくならオシャレな方がいい。
何てったって、美観のために行くのだ。・
そこを譲らない方がいい。
わたしがジムに期待するのは、下記の点である。
・たるんでいない引き締まった体
・動画を見るための時間の捻出
・一生オタクでいるための、疲れにくい、健康な体づくり
新しい建物をくぐると、オシャレな入り口の前では、これまたオシャレなウェアーを着た綺麗な女の人がちょうど中に入るところであった。
もしここに通うことにすれば、オシャレなウェアが欲しいなあ、と少しうっとりする。
受付で見学に来た旨を伝えると、綺麗なお姉さんに
「お待ちしておりました!」と微笑まれ、またしてもテンションが上がる。
まずはジムの構成や会費など、全体の仕組みを説明してもらう。
会社帰りの人も多いのだろう。
ウェアやタオルなどの貸し出しもついているそうだ。
めっちゃ便利じゃん!
ウェアがいらないなら、平日、会社帰りにも来れたりするかも。
うわあ、めっちゃオシャレじゃん・・・!!!
ますますテンションが上がってくる。ドキドキ。
一通り説明を聞いた後は、いよいよトレーニングルームに入り、イケメントレーナーさんから説明を受ける。
オシャレなジムにはやっぱり綺麗な受付の人とイケメンのトレーナーさんがいるんだなあ、などどぼんやり思う。
トレーナーさんはわたしを見て一番に、詳しくは詳細にチェックしなければならないことを前置きした上で、
「骨盤が歪んでいると思います。あと、肩が内側に入っていますね。いずれも体幹を鍛えると良くなりますよ。あと姿勢が前傾になっているのも直した方がいいですね。背筋を鍛えるといいですよ。姿勢が良くなると結果的に疲れにくくもなりますよ」
となどとおっしゃる。
すげえ、プロだ・・・!
そういえば、ダンス教室でも、「腰の上に頭が来ていない」などどよく怒られていた。
そんなもん、乗るわけねーだろ!!!!
と思っていたのだけれど、そうか、体幹部分の筋力が足りないせいだったのかも!!
なんでも聞いていいとのことだったので、色々聞いてみる。
私「マシーンの使い方とか、全然わからないのですけど、せっかく来ても何をしていいかわからないなんてことになったらどうしたらいいですか?」
トレーナーさん「最初にプランを立てて目標を決め、それに向かってもらうので、心配ないですよ!それに、トレーナーが常駐するので何かあれば気軽に聞いてくださいね。」
ほほう、頼もしい・・!
また、一番聞きたかったことを勇気を振り絞って言ってみた。
私「あの・・・マッチョになりたいわけではないのですが・・・・」
これにも
トレーナーさん「大丈夫です!大きな筋肉をつけることを目的としていません。」(キッパリ)
おお、これまた、めちゃ頼りになるな・・・・!
推しは今、おそらくけっこうマッチョだと思う。
それはそれでかっこいいと思うのだが、自分はマッチョになる必要はないと思っていたので、だいぶホッとした。
その後も、
「このマシーンは特殊でして、何が特殊かと言うと・・・うんにゃらかんにゃら」
「この運動をすることで血管がこうなって・・・なんとか」
と、ちょいちょいマニアックな知識を挟んでくるのも好感度が高い。
わたしは、思わず少しマニアックな話をしてしまうのは仕事が好きな証拠だと思っている。
そういう人がいる組織はとても信用できる。
まあ、内容はゼンゼン理解できなかったのだけれど。
あとトレーニングだけでなく、ヨガなどのスタジオレッスンにも参加できるらしい。
とても素敵だ・・・!
ちゃっかり、帰り道には次回の体験レッスンを予約して帰路についた。
新しいことを始められるのは久々だ。
なんだかんだ、ワクワクする。
早く次回のレッスンの日にならないかな。
集中力、どう高める?歩いている時に思いついたこと、そのまま得られたらいいのに
わたしは集中力がない。
集中、できない。
何か考え始めても、いろんなことに気が散ってしまう。
一つのことを始めても、別のことが気になる。
でも歩いているときは別。歩いてる時って、すごくいいことをたくさん思いつく。
だから歩く時間をとても大切に思っていて、
時間を無駄にするのは良くないので、
歩く前に、今日は何を考えるか、テーマを決めることもある。
あれ、なんでだろうね。
文章にしても仕事にしても、あれやりたい、とかこれやりたい、とか。
面白いことがいくらでも出てくる気がするのに、止まった途端、もうだめ。
あーーー全部忘れちゃった!!!!
ということ、本当によくある。
歩いてる時のリズムなんだろうかね?
あ、歩いている時にはトランス状態で面白そうに感じることも、止まった瞬間に冷静に判断してしまって、つまらなくなるのかも。
冷静になるのは大切だけど、ある意味とてもつまんない。どうすればずっと面白いって思いながらいられるのかな。
あと。歩いてる時は歩くことに集中してるからかもしれない。しかも歩くだけなら、特になにも考えずにできる。
じゃあなにか、なにも考えずにずっとやれることと組み合わせれば、逆に、考える集中力が出るのだろうか。
よく歩きながら覚えるといいとか言うもんね。そういうことなのかな。
とにもかくにも、歩きながらと同じような状況をいかに、作り出すかということは集中力のない、私のテーマだと思う。
最近は、カフェでなにか作業をしたりするときは、必ずハイチェアに座るようにしている。
歩くのと同じ効果が得られるのか、比較的集中できて、物事が進む。
また、歩きながらという同じ状況を作り出すことはできなくても、歩いていて思いついたことを比較的ナチュラルに溜めておけるツールならたくさんある。
例えばiphoneメモもそうだ。
わたしは比較的すぐに出せるポケットにスマホを入れている。
前の記事で、なるべくいろんなことのハードルを下げてシームレスに生活していると言ったけれど、思いついたことを逃さないため、というのもあるのかもしれない。
なにか思い立った時にすぐできる状況にあるか。
やる気が失せてしまう前に、いかに始められるか、はわたしにとってとても大切であるように思う。
歩きながらかけるツールがあるのが一番いいのだけれどね。
「男っぽいよね」は絶対に褒め言葉ではないので、断固として怒っていくという決意表明
男性から、「男っぽいよね」って言われて、ちゃんと怒らなきゃだめなんだ、って思ったのは、結構最近かもしれないです。
というのも、相手は「サバサバして、付き合いやすいよね」というような意味を持った、褒め言葉で発していることが多いから。
要は、女っぽくないから付き合いやすいってことですよね。よく考えたら、女性に対して、どの立場でもの言ってんだって話。いったいなんて、失礼なこと言うんだろ。
要は、男から選ばれてる感が嫌なのかもしれない。
女っぽくないから、男の仲間に入れてやる、って感じ?
はーあ、言ってろばーか。
全然対等じゃないよね。
女性が男性に対して、「あなた女っぽいから付き合いやすいね」ってあんまり言わないしね。
だけど、そう言われるように振舞ってる自分もいて。それに気づいてしまったとき、けっこう悲しい。
わたし、昔から、女であるということは大好きだったはずだ。
生まれ変わっても絶対女に生まれたいって思ってきたし、今も思ってる。
なんで女が好きなんだろ。
女同士で、ヒソヒソおしゃべりするの、めっちゃ楽しいからかな。
女の友情ってめんどくさいこともあるけど、その反面、味方になってもらうと百人力で、めちゃくちゃ威力を発揮するじゃない?
そういうの、好きだったりする。
そんなに好きなのに。
堂々と女であるって、胸をはれればいいのに。
男に「サバサバして男っぽい」って言われて、褒め言葉だと勘違いする。
ああ、絶対怒らなきゃダメだよね。
セクハラじゃんこんなの。
どこかでやっぱり、後ろめたさを感じているのかな。
女という性の、社会での市民権の得られなさ、感じているのかな。
こういう悩みも、まだまだ日本の社会に、女が少ないことが原因かな、とは思ってる。
もっともっと女性が増えて、社会に出てる人の男女比が半々くらいになれば。もう少し意識は変わるんだろうか。
男にも女にも、いいところもあれば悪いところもある。
そういうところ認め合って、普通に共存できるようにいつかなるのかな。
今はまだまだ、男の仲間に入れてもらう感覚が抜けない女性も、本当の意味で対等だと言える日はいつ来るのだろうか。
これから、わたしは「男っぽいよね」と言われたら、
絶対に怒るようにしようと思っている。
いや、女なんですけど。って言うから。