妹は、仕事ができるというはなし
もしかしたらこんな時に徹夜かもしれない、とわたしは溜息をついた。
3年前の年末に祖父が亡くなり、そのお別れ会で使うために妹と二人、祖父の生立ち動画を作ることになった時のことだ。
それは今日から年末年始休暇、というまさにその日であった。
実家の母から、祖父が突然亡くなった、との連絡を受け、
東京での予定をいっさいキャンセルして実家にとんで帰った。
それこそピンピンコロリというのがぴったりであった。
誰もが、というかおそらく本人も、お正月に親戚で集まることを楽しみにして疑わなかったしその証拠に、
祖父の家の冷蔵庫には皆で食べるためのたくさんのご馳走が、すでに用意されていた。
それくらい突然の出来事だった。
祖父は無宗教だった。
知らなかったのだが、無宗教だとお焼香もない、神父様のお話もないらしい。
別にやりたかったらやってもいいのだが、
つまり、決まり切ったメニューがないということだそうだ。
お別れ会で何をすればいいのか悩む、という稀有な状況となった。
誰かが、「おじいちゃんの生立ちムービーを作って、みんなで見るのはどうか」と言い出した。
みんな口々にそれはいいと言った。
・・・いい考えだけど、それ、誰が作るのだ?
皆はいっせいにわたしをみた。(気がした。そんな気がしてしまうのは私のわるいクセでもある)
まあ、そういうのはどちらかといえば得意なほうだろう。
簡単なやつだけど、友達の結婚式の動画を作ったこともある。
引き受けることにした。
コンテンツとなる、祖父の写真は比較的きちんと整理されていた。
生まれた時から時系列に、けっこう最近のものまでそろっていた。
元ネタはある。
写真の選別とそのスキャンの責任者を、妹が担うこととなった。
妹が引き受けてくれたとき、こりゃ徹夜かもな、と覚悟した。
どちらかというとざっくりした妹の性格上、そんなに丁寧にやってくれないだろう。
とくべつ器用なイメージもないし、普段やり慣れてもいないだろう。
でも、お別れ会はもう明後日だ。
どうしても気になるものは、のちほど自分でスキャンし直すしかない。
とにかく進めよう、と決めた。
つぎの日の朝早く、妹とふたり雪混じりの風が吹きすさぶなか、自転車のカゴに実家にあったノートパソコン2台とスキャナーを積んで、祖父の家にむかった。
家に着くともう何人か親戚が集まっていて、アルバムを眺めながら写真にああでもないこうでもないと付箋を貼り、動画に使う写真を選んでいた。
わたしは妹に、とにかく時間がないので時系列に、付箋がついているものをスキャンとトリミングするように依頼した。
わたしはまず、祖母といっしょに動画に使う音楽を選んだ。
祖父が所持していた大量のCDのなかから、よく聴いていたというクラシックに決めた。
パソコンに取り込み、そろそろ、と妹がスキャンをした写真が入っているフォルダを開いた。
驚いた。
ファイルの中には時系列に番号が付けられ、まっすぐにトリミングされた写真がたくさん並んでいた。
妹の隣では、親戚たちがああでもないこうでもないと付箋をつけたアルバムがつぎつぎに積まれていく。
彼女はその話相手をしながらも、でも淡々と、その大量の付箋の中から似たような写真を省いたり、より綺麗なものを選びなおしたりしてスキャンを取っては、順番にわかりやすいようにメモリースティックに入れて私に手渡した。
期間が空きすぎたり、つまりすぎたりもしないよう、バランスをとりながらうまく選別されている。
そんな風に見たことはなかったが、妹は、たぶん、仕事ができるらしい。
もう10年以上も別々に暮らしているし、普段の妹をわたしはほとんど知らない。
小さい頃から妹は妹だった。
どんなふうに仕事をやるかとか、正直あんまり考えたことはなかったけど、
おそらく淡々と、確実にやるタイプだろう。
いきなりあっと驚くようなことをするわけではないかもしれないが、じわじわと周囲の信用を獲得するタイプなのだろう。
知らなかった、妹がこんなにきっちりとしたやつだったとは。
最後まで、妹は全くペースを崩さなかった。
周りがだんだんと飽きてきても、それでも淡々と、一人で数百枚をほぼ同じペースでスキャンし続けた。
妹は、何かを必死でやったりするタイプではない。
一方、わたしはどちらかというと猪突猛進タイプ。
何かを成し遂げたいと一度決めると、何が何でも成し遂げないと気がすまない。
徹夜でもなんでもして、できるまで必死で追いかけ続けてしまう。
妹は淡々と、同じペースを守りつづける。
それが昔から、ずっと不思議だった。
でもわかった。彼女はそういう人なのだ。
こんな風にいつも淡々として、でもきっと、そういうふうに仕事ができるやつなのだ。
わたしは心強さを感じた。
心のどこかで、一人で頑張らなければと思っていた。
なんなら妹の分までやらなければならないと思っていた。
何を?
ほんとうに、何を偉そうに、って、ダンベルで殴ってやりたいくらい傲慢だな自分は。
出来上がった動画は上出来で、みんな、とても喜んでくれて何度も見た。
叔父は調子に乗って、お別れ会の最後のスピーチで今日の動画を希望者全員に郵送すると大口を叩いて祖母に叱られた。
わたしも笑いながら少し呆れた。
おじいちゃんが、天国で喜んでくれているかどうかは正直わからない。
出してほしくもないような、余計な写真を掘り起こしてしまったかもしれないし。
でもまあ、きっと、それをきっかけに家族で色々な会話が生まれたこと、
決していやではなかったのではないかなと思う。
3年前のあの冬は、忘れられないものになった。
ハードル低く生きたい!電化製品や日々の生活の中での工夫について
気合を入れずに出来る、ということが大好きだ。
なるべくいろんなことのハードルを下げられるよう、努力を怠らない。
ここだけはけっこう自慢できると思う。
ハードルが低いことしかやらない、ってとてもダメなやつみたいだけど、
わたしはこれをとても大切に思っている。
毎日は小さいことの積み重ね。
これができないと、日々やらなければならないことに忙殺されて流されてしまう。
めちゃくちゃ急がないけれど、とても大切なことが世の中にはたくさんある。
こういうことをやっていくために、わたしはあらゆることへのハードルを下げる努力をしている。
例えば、わたしは電化製品が好きだが、これももちろん、
どのように自分の日常のハードルを低くしてくれるかという視点で選んでいる。
①Kindle。
言わずと知れた電子書籍リーダー。
文庫本並みの軽さ、大きさにも関わらず、なん千冊も持ち歩けるのが大きな魅力だ。
好きな本をその時の気分で読めるのは、読書へのハードルを間違いなく下げる。
使ってみてさらにいいなと思ったのは、読んでみたいと思った本を、その場でサンプルダウンロードをしておける点だ。
わたしのKindleはWi-Fiモデルなのでサンプルのダウンロードはスマホ経由とはなるが、KindleがWiFi環境にあるときに自動的にダウンロードしておいてくれる。
次に開いたらそのサンプルを読めるという仕組みとなっている。
Kindleを持つ前にやっていた、読みたい本をメモしておいて、次に本屋さんに行った時にまとめて立ち読みして、読みたい本を探す、という手間がなくなった。
これは想像していたよりもぜんぜん、めちゃくちゃすごい。
読みたい本を逃さないだけでなく気軽、簡単。
ちなみにわたしは最近ではほとんど本はKindleであるが、今後も何回も読もう、と思った本は紙でも買う。
紙は常に持ち歩くことができないが、やっぱり見やすい、というメリットがある。
また本棚に並べておけるので存在を忘れにくい。
最近は防水モデルが発売された。
お風呂に入るときは防水ケースを付けているが、
そのハードルがとても高いので、今、防水モデルがとっても欲しい。
②iPhone X。
顔認証がこんなにすごいって奥さん知ってた?
指紋認証と何か違うの?って思ってたけど、画面を見ただけで開くのはほんの数秒のことなのにもう手放せない。
あらゆるアプリの認証も顔でできるようになっているので、
便利さ増し増しである。
ほんの少しの差なのに。
歩数計、心拍数・・・今後何に使うのかよく分からないが、勝手にとっておいてくれる記録はありがたくいただいておくタイプ。
また、常にsuicaが腕についているのが思いのほか便利である。
Apple Watchにしてから、コンビニや電車でお金を払っている、という認識が薄れた。
お金ってなんだっけってなレベル。怖い。
④ヘルシオホットクック
ほぼほぼ、味噌汁製造器と化している我が家のそれ。
もっと凝った料理が出来ることはもちろん知っている。
けど野菜を適当に切って味噌と一緒に放り込んでほっておくだけ、野菜出汁のしっかり出た、美味しすぎる味噌汁ができるのまじ天才。
今まで鍋を火にかけて、ずっと見張ってたのなんだったんだろう。
電化製品以外にもある。
⑤住む場所
これもハードルを低くしたいと考え、引越しをした。
会社の近くだ。
当然ながら会社に行くハードルが下がった。家を出れば20分程度で着く。
まあ、会社から帰るのもいつでも帰れるという感じになってしまったのでいつまでも会社にいられるようになってしまったけど。
また、スタバ、ドトールといったチェーンのカフェが徒歩10分圏内に少なくとも3つある。
便利なところに借りたので家はめっちゃ狭くなったのだが、代わりにカフェに出向くようになり、仕事や読書の時間が確保できるようになった。
よく言われているけれど、家にいるとどうしてもテレビを見る方が楽なので見てしまうが
カフェに行けばなんか捗る。
カフェに行くハードルを低くしたのは時間の使い方が上手くなったと思う。
⑥仕事をするときのBGM
家でどうしても仕事をするときは、あえてあまり興味のない大河ドラマをかけてやっている。
大河ドラマは興味がないが興味がないことほど身構えないのでハードルを低く身始められる。
ちょっと不思議なんだけど、大河ドラマを見ながらなんとなく仕事に入ると仕事を始めるハードルが低くなる。
⑦服選び
会社に行くハードルを低くするのに、服選びをシステマチックにして楽にした。
毎日ワイドパンツとTシャツのくみあわせにして、手前から順に着てくというものである。
以上、わたしがあらゆることをボーダレスにやるために工夫していることの一部を書いてみた。
いろんなことをボーダレスにやれること。仕事も、遊びも。
そんな風に生きれたら楽しいのになぁと思っている。
仕事なんてしょせん人生の一部にすぎないはずなのに
忙しいと、停止する脳みそ
最近、思考が停止している。
数週間前まで、人生についていろいろ考えたりしていたのに、ここ数日はそんなことこれっぽっちも考えていない。
暇だった仕事が一気に忙しくなったからだ
やることがないと、人間は本当に余計なことをイロイロ考える。
イロイロって言っても大したことではないけれど。
例えばこのまま会社にいていいのかとか。
今携わっている仕事は本当に自分にとって有意義なのかとか。
生きていくためには新しいスキルを身につけないといけないかとか
年をとったらどういう風に生きよう。
自分は一生一人で生きていくのだろうか。
・・・みたいなことだ。
ところが、忙しくなるとまったく考えなくなっている。
なんとなく人生が充実しているような気がしてしまうからだ。
これはとても危険である。
数週間前と、人生における状況は何も変わってないのだから。
わたしはしがないサラリーマンであり、将来に不安を抱えながらなんとかやっている。それは変わらない。なのに。
何かに依存して生きてしまうこと
こういうときは、あー仕事に依存してるんだな、自分。って思う。
人生の充実度を仕事だけで計っちゃっている。
仕事が暇になっちゃうと何もすることがなくなる。
いや別にいいんだけどね、仕事も人生を構成する一つだから。
でもだからこそ、仕事が忙しくなったからって人生の意味とかを考えなくなるのはいかがなものかな・・・と思うわけで。
どんな状況であれ、人生の意味なんて考え続けなきゃいけないんだっていうこと自体、仕事に没頭しすぎちゃってると分からなくなるというか。
仕事じゃなければいいかというとそうでもないんだけど。
何かに依存しないで生きたい
何か1つのものに依存して生きるというのはとても危険だ。
いくつかの柱を持って生きていくのが一番いい気がする。
柱の一本一本は、突然なくなったり、裏切ったりするものだ。
終わりはない。
柱をずっと探し続けていく気持ちが一番大切だと思う。
メンカラに溺れた大人。色を選ぶにはそれぞれ意味がある。
今週のお題「わたしの好きな色」
みなさんは、街ゆく人々が身につけているさまざまな色に意味があるなんて、考えたことはあるだろうか。
わたしはなかった。
ほんの3年前、アイドルに落ちるまでは。
わたしの好きな色は「紫」である。
紫は、わたしの推しであるアイドルの、メンバーカラーだ。
メンバーカラーとは何か?
メンバーカラー、略してメンカラ。
アイドルメンバーそれぞれに割り当てられている色のことである。
彼ら、彼女らはしばしばメンカラの衣装を身につけるし、その色のグッズが販売される。
ライブでは、ファンは該当する色の服を着ていく。
アイドルに気づいて欲しいのはもちろんだが、ファン同士、同じ推しであることをさりげなく共有できるというメリットもある。
そうなるとだんだん、紫の着こなしが気になってくるものだ。
いかにさりげなく、でも可愛く取り入れられるかが勝負だ。
街でもSNSでも、自然と紫を身につけた人をチェックする。
「ライブ」という特別な日だけのものが、だんだんエスカレートして日常に浸透するのにそう時間はかからない。
会社に行くのも紫を着て行きたくなる。
毎日持てることを考慮すると、バッグやスマホケースはとてもコスパの良い投資である。
ピアスはいくつあってもいいし、
今後は紫を取り入れた、かわいいメイクも勉強したい。
メンカラって、身につけていると幸せだ。
だっていつも一緒にいられるような気がするから。
あーーーオーバー30、きもーーーーい。
分かってる、分かってるんだけど!!!!
仕事への影響もある。
資料のパワポには、さりげなく紫を紛れ込ませるのがマイルール☆
独占欲まで生まれてきた。
退職する人に、寄せ書きをするとき。
カラフルなマーカーが用意されていたのだが、思わず紫を一番に死守した。
紫は誰にも渡したくない。
ていうか、わたしを差し置いて、意図もなく紫を手にするのだけは許せない。
ああ、いったいなんの独占欲なのか。
最近では身近な人をも疑う始末である。
営業部の人に、いつも素敵なネクタイをしてくる人がいる。
でもよく考えるとこれまた紫率がめちゃくちゃ高いのだ。
しかも間食のキャンディーはブドウ味、外出先から帰ってきたら使う汗拭きシートも、シリーズの中で必ず紫色のもの。
ついにはその人の言動を分析し、推しを当ててやった。
(自分は隠し通したんだから、最低である。)
ここまでくると、病気である。
もうわたしは、紫以外の色をうまく選べない。
そういう体になってしまったのだ。
別の色を選ぶのには、相当特別な理由がいる。
ゆえにわたしは、これからも紫を選び続けるだろう。
あなたも探してみてほしい。
きっと身近に、そういうメンカラに溺れた人がいるはずだ。
ハラスメントは関係性によるものか?
よく、ハラスメントは結局、その人同士の関係によるものだから、人間関係ができてたらある程度許される、みたいな話があるけど、わたしはいささか怪しい、と思ってる。
親しき仲にも礼儀ありと言うけれど、誰に言われたって嫌なものはいやでしょうよ。
たとえば飲み会で、お酒が入って、ついつい少し立ち入った失礼なことを言ってしまうとする。
たしかに、よく知ってる人であれは、まあ普段いい人だし、ちょっと言いすぎただけなのかな、って理解はできるかもしれない。
でもやっぱり、本当は失礼な人なんだな、って感覚は、わたしならずっと拭い去れなれない。
もし言いすぎたな、と反省したなら、やっぱりそこはあとで謝るべきだ。
それに、どんな親しい人にも失礼なことは言わないってめちゃくちゃ普通じゃないかなぁ。
普段の良い関係性があれば、多少失礼なことをいってもいいという、その感覚が嫌いなのだ。
小学生の頃から言われている、自分がされてイヤなことはしない、言わない。
なんか説教くさくなっちゃうけど、大事にしたいなぁ。
まっさらな世界に飛び込む面白さ。インターネットで文章を書いてみたいなんて思い立った理由
私はどうして、インターネットの上で文章を書こうなんて思ったのだろう。
それは、なんの前提条件もない、まっさらから始める世界に、面白さと魅力を感じているからだと思う。
この魅力に気づいたのはちょうど3年前、今の推しである、アイドルに落ちた頃だ。
深夜にぼんやり見ていたテレビ番組に出ていたそのアイドルを、ほんの出来心で検索してしまい一気に落ちた。
それまで趣味らしい趣味を持ちあわせていなかったわたしにとって、晴天の霹靂のような出来事であった。
今はもう、以前休みの日になにをしていたかなんて思い出せないほど、ドップリその世界に浸かってしまっている。
同時期に始めたのがツイッターだ。
ツイッターって面白い。
実はほとんどやったことがなかったけど、もてあますほど大きな(笑)推しへの愛や、番組の感想なんかをつぶやいているうちにフォローしてくれたりよくリプをし合うような気の合う人がポツポツ出てきた。
あれよあれよというまに同じ趣味を持つたくさんの知り合いができて、休日一緒にでかけたり、ライブに連れ立って参戦したりするようになっていた。
正直、この世界にクラクラした。
だってそれまでの人間関係と全然違ったから。
それまで、人間関係というのはどこか、今まで築いていた既存の人間関係の延長上にあるものだった。
学校の友達、会社の同僚、友達の友達…
どこかでバックグラウンドを探り合いながら付き合っている。
でもツイッターで出会った人は違う。
自分の立場も相手の立場も関係ない。
みんな同じ推しのファン、という意味で同等だ。
それが私にとって、とても心地よかった。
年齢も、出身も、肩書きも関係ないのはもちろん、ほとんどの人は、名前すら知らない。
もしツイッターのアカウントが凍結されたり、LINEがブロックされたりでもしたらほんとに関係が終わる。
いわばSNSの外では全く接点のない者同士が、ただその推しが好き、ということだけで何億というアカウントの中から友達になるっているのだ。
それってまじすごくないですか?
仲良くなり方だって今までとは違う。
今までの世界だと、まず「あなたは誰ですか」というところから始まる。
こちらの世界だと、「どういうふうに推しのことが好きですか」というところから始まる。
ぜんっぜん違うのだ。
推しをどういう風に好きか、とういうことがもっとも重要となる。
生身の人間同士より、ある意味ピュアな関係だよな~~。
同時に、自分はそうとう、そういうものに縛られながら生きているのだということを思い知った。
こんなこと言ったらおかしいと思われるかな、今までの○○みたいじゃないと思われるかな、親にバレてがっかりされたらどうしよう、とか(笑)
まずは自分が今思うことをちゃんと伝えられるようになろうと思っている。
他の誰でもない、わたしが文章を書きたい。