アイドルにはまり、あっさり家に帰るようになったら仕事がうまくいくようになった話

わたしは仕事が大好きだ。仕事より大事なものなんてないと思っていた。本当に。まあいまでもそう思ってる。

 

だからこそ、異常なほどびびっていた気がする。

失敗することや、わたしの手元から離れてしまうこと。見切りをつけてしまうこと。固執して依存して、だからこそ割り切れず、終わらせられず。

 

でも推しをを好きになってびっくりするくらい変わったんだよね。普段は仕事が大事でも、この日だけは、って死んでも早く帰りたい日ができた。飲み会も好きじゃない、友達と遊ぶのもさほど興味ない。仕事できるならそっちの方がいい。そんな人だったのに。死んでも帰りたいっていう、そんな日ができた。

 

たとえば、推しが特番にでるとか。シングルがでる、アルバムがでる、ライブの円盤がでるとか。そう、フラゲ日には、定時で帰って家で見るのだ。こんなに早く帰りたいっていう出来事が、わたしにできるなんてね。

 

家に着いたら、ドキドキしながらパッケージを開けるのだ。子供の時、漫画雑誌の発売日にドキドキしながら付録と雑誌を止めてるゴムを外す、あの感覚を思い出す。あのゴムの中に、夢がいっぱい詰まってたよね。大人になって、またこの幸せを味わえるなんてね。

 

だからその日だけは何があっても早く帰った。呼び止められても、明日早く来てやるからって早く帰った。

 

わたしは、仕事にきちんと見切りをつけられるようになった。仕事はもちろん、大切だ。でもその中にも、心から頑張りたいやつもある、でもどうしてもやらなければならないから、仕方なくやってるものもある。それは心を無にして、お金のためにやるってことを覚えた。推しのCD を買うために、やる仕事もあっていいんじゃないかな。全部が全部、好きでやる仕事ばかりじゃなくていい。そう割り切ることで、逆に、どんな仕事も前向きにできるようになった。うまく進まないものについては、相手をなだめすかしてでも、何が何でも進める。なぜかこういうことも、できるようになった。

 

それから、屁でもなんでもないことが増えた。ていうか世の中のこと、ほとんど屁でもない。どんなに大きな失敗をしても、帰って推しの出てる番組が見れればオールオッケーだ。死ぬわけじゃあるまいし!死んだら推しが見れなくなる、それはだめ。ただ失敗したり、どうしてもダメな時は、笑って「わははは!ごめん!でもできない、助けて!」って言っていい。まるでわたしの中に、オタクというもう一つの人格がいて、そっちの人格がわたしまで強くしてくれたみたいだ。同僚にも、「急に図太くなった?あ、いい意味で!笑」と言われた。自分でもそう思うもん。そうだろうよ。なんか失礼だけど。

 

よく言われていることだけど人ってさ、自分以外のに守るものがあると強くなれると思うんだよね。子供がいる、ってこういうことなのかな、って思うもん。わたしの場合は、今までずっと、自分にだけにベクトルが向いてたんだと思うんだ。それが推しができることで違う向きのベクトルができて、逆に強くなれたんだろうな。でも難しいんだよね。別のベクトル持つぞー!!って言って持てるもんでもないし。

 

でもわたし、感覚は掴んだと思ってる。別のベクトルを、持つっていう感覚。この感覚、大事にしたいな。そうすれば、今後は意図して持つこともできる気がするんだよね。

 

たくさんベクトルがある人ってたぶんすごく強い。一つ折れても、まだたくさんある。太いベクトルをたくさん持つ。これが今のところ、わたしの目標でもあるのだ。